【門田博光】現在一人暮らしだった⁉家族や嫁・妻や子ども・療養生活の様子を調査‼

1月24日に元プロ野球選手の門田博光(かどた・ひろみつ)さんが訃報が報じられました。

門田博光さんは1969年のドラフト2位で南海ホークスに入団し南海で18年、オリックスで2年、ダイエーで2年と実働23年間プロ野球選手として活躍されプロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放つなどして本塁打王3回・打点王2回・最高出塁率3回とタイトルを獲得した実績の持ち主です。

今回は晩年の門田博光さんがどのように過ごしていたのか、また家族について調べてみました。

この記事でわかること
・門田博光さんの現在の生活様子
・門田博光さんの闘病生活
・現役時代は子煩悩でオールスターで約束のホームラン
・ミスタータイガースとトレード⁉
・実績充分なのにプロ野球の指導者にならない理由は?

目次

門田博光さんの現在の生活とは?

現在は透析治療中だった‼

出典先=Twitter

門田博光さんは現在、兵庫県相生市内の野生の狸や鹿、猪も生息する兵庫県内の山間部で一人暮らしで人工透析の治療を受け一人で生活をされていたようです。

門田博光さんは、奈良の3億円する豪邸を手放しているようで、理由は事業が上手くいかなくなり、お金が原因で奥様と離婚をされたとのことです。

「けっして生活に困窮していたわけではなかったが、門田さんは『事業がうまくいかなかった。カネが原因で奥さんとは離婚して、ここに来た』といった話をしていました。ほかよりも狭い家で、別荘地のいちばん奥に住んでいた。今なら100万円くらいで買える物件で、当時でも500万円くらいではないか。『誰にも言わずにここに来たんや』と言っていて、あえてそこに住んでいたんだと思います」(Xさん)

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2016年より透析治療を開始され現在は週3回透析治療の為、通院生活をされていました。

門田さんの親族が明かした。かねて兵庫・相生市内で療養中だった門田さんは、23日に予定されていた通院治療に現れなかったという。病院から相談を受けた警察官が自宅を訪ねたところ、倒れていた門田さんを見つけた。

門田博光さんが急死 74歳 プロ野球歴代3位の通算567本塁打(サンケイスポーツ) – Yahoo!ニュース

2020年2月11日に現役時代に南海ホークス時代をされていた、野村克也氏の訃報を知ったのは人工透析を受けていた兵庫県内の病院で受だったとのことです。

「腎不全で透析を受けていて本当はあまり遠出しちゃいけないんだけど、最近は透析が終わったらその足で空港に行って、1泊2日の北海道旅行をしていたりしますよ。医者には内緒でね」

小脳梗塞患った門田博光氏 現役並みの猛特訓で完全復活|NEWSポストセブン – Part 2 (news-postseven.com)

門田さんは2003年には小脳梗塞で入院され後遺症で、右耳が聞こえなくなったり、2005年には小脳梗塞が再発し平衡感覚が無い状態にあったようで、日常生活全般において支障をきたいしたようです。

引退後のお仕事は?

門田博光さんは現役引退後は、朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ野球解説者を1993年から2005年までされていました。

また、スポーツニッポン(1993年から1994年)、日刊スポーツ(1995年から1996年)と評論家も務めています。

2006年には競技者として表彰され野球殿堂入りを果たします。

野球殿堂(やきゅうでんどう)は、日本のプロ野球などで顕著な活躍をした選手や監督・コーチ、また野球の発展に大きく寄与した人物に対して、その功績を称え顕彰するために創設された殿堂である。

野球殿堂 (日本) – Wikipedia

2009年には社会人野球のクラブチーム大阪ホークスドリームを設立し総監督になるも20011年に新監督を務めるも9月に契約満了により退任され、2014年には社会人野球チームの日本新薬の臨時コーチを務めていました。

門田博光さんの家族は?現役時代は子煩悩で移籍もした⁉

出典先=Twitter

門田博光さんは結婚されていて奥様の間に一男一女とお子さんがいるようです。

門田さんが南海からオリックスに移籍した理由には、門田さんが子煩悩であった様子が伺えるエピソードがあります。

南海ホークスがダイエーに買収され福岡に本拠地が移転することになった時に、門田さんは、お子さんの為に単身赴任は避けたいことや平和台球場が人工芝で足腰の負担を軽減するために『関西に残れないか?』と球団に打診します。

結果、内田強捕手・原田賢治投手・白井孝幸投手の3選手とのトレードによりオリックスに移籍となります。

また、娘さんの高校進学のタイミングで単身赴任が可能となり福岡ダイエーホークスに移籍されたそうです。

門田さんが福岡ダイエーホークスへ移籍した年が1991年なので、娘さんが高校進学した時の年齢が15歳とすれば、現在48歳前後だということになります。

また、1979年2月16日の高知県大方球場でのキャンプで準備運動中に右足のアキレス腱を断裂し自宅に戻った際に当時小学校1年生だった長男から職業をきかれ『今度、オールスターにでたら球場に来るか』と口にして1980年のシーズンに門田さんはそれを子どもとの約束と思い、西宮球場で行われたオールスター第1戦に家族を招き本塁打を打つなど活躍したエピソードもあります。

門田さんは長男さんの年齢は51歳前後ということになります。

まとめると
門田博光さんの長男さんは現在51歳前後・長女さんは48歳前後ということになります。

現在は離れて暮らしている可能性が高いのではないでしょうか。

門田博光 幻のエピソード3選‼

ミスタータイガース 掛布雅之さんとトレード⁉

南海時代の1980年オフに門田博光さんと阪神タイガースに所属していた掛布雅之さんトレードの話があったことを門田さん自身が後年語られています。

なぜ、トレードが無くなったかというと球団事務所に抗議が殺到し話が流れたとのことです。

南海ユニホーム姿の門田氏は、ファンからの質問コーナーで、現役時代にまつわる話に本音で回答。阪神掛布との交換トレードのうわさに「これは本当にありました。でもスポーツ新聞に早く出て、消えたんです」と話し、集まったファンを驚かせた。

門田博光氏、掛布とのトレード話「本当」 – プロ野球ニュース : nikkansports.com

もし門田博光さんと掛布雅之さんがトレードで移籍をされていたら、お互いの生涯成績や球団の歴史が変わっていたことは間違いないでしょう。

掛布雅之さんが南海ホークスのユニフォームを着るイメージが沸きませんが…

プロ野球のコーチのオファーがあった⁉

門田博光さんも実績ならプロ野球の指導者をしても申し分ないところです。

しかし門田博光さんはダイエー時代に当時の中内(㓛)オーナーから直々に指導者になってほしい旨をのハガキをいただいたようです。しかし、結局話し合いもせず、門田さんが引退関西に帰ることになり指導者の要請を蹴るような形になります。

2005年には当時、オリックス・バファローズの仰木監督から長打を打つ打者を育ててほしいと直々に話があったり関係者からも何度も何度も電話があったようですが、断り、代わりに近鉄で活躍したブライアントさんがコーチとして招聘されたとのことです。

「二回目は、引退から13年後の2005年にオリックス・バファローズの監督だった仰木(彬)さんからオファーがあった。仰木さんの考えは、ヒットを打つバッターと長打を打てるバッターをそれぞれ育てる指導者が欲しかったらしく、単打を打つバッターに関しては既に新井(昌浩)がいたから、長打を打つバッターを育ててほしいということで僕のところへ来たんです。関係者から何度も何度も電話があったんですが、断りました。代わりにブライアントがコーチに招聘されたんですよね」

門田博光が今明かす二度のコーチ就任要請「僕が人に教えるのは難しいんとちゃうか」 | 日刊SPA! | ページ 2 (nikkan-spa.jp)

門田さんが頑なにコーチを断った理由として、個人に教えることが難しいことや選手に押し付けると潰してしまうと思い、指導者には向いてないと思っていたようです。

高校時代の通算本塁打は0本‼

プロ野球の通算成績において野球歴代3位となる通算567本塁打を放つなどして本塁打王3回・打点王2回・最高出塁率3回とタイトルを獲得した実績もある門田博光さんです。

高校時代も本塁打を量産されていたかと思うと実はそうでもなく3年間で1本も本塁打を打てなかったと自身でテレビ番組で語られていました。

まとめ

今回は門田博光さんの現在の生活の様子について調べてみました。

プロ野球もキャンプが始まる前に悲しい訃報でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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