2023年5月18日に現役時代は怪童、指導者としては名伯楽の異名を取った中西太さんが5月11日にお亡くなりになったと報じられています。
今回は現在の中西太の生活の様子や奥様のとの出会いや馴れ初めについて調べてみました。
現役時代の活躍や指導者としても数多くの名選手を育てた実績についても調べてみました。
中西太さんの現在の生活は?

中西太さんは2023年4月11日に90歳の卒寿を迎えたばかりで「最後は自宅で」と本人の意向で東京都内のご自宅で奥様の敏子さんやご家族に見守られたと報じられています。
また、心不全で永眠されたとのことです。

ここ数年の活動として
2017年 学生野球の指導資格を回復
2018年 ライオンズOB会の会長就任
第100回全国高等学校野球選手権記念大会香川大会 始球式
第100回全国高等学校野球選手権大会(14日目) レジェンド始球式
2019年 ライオンズ埼玉移転40周年記念 パ・リーグ本拠地開幕戦 始球式
同郷・香川から生まれた世代NO.1スラッガー浅野翔吾選手を高く評価しています。
中西太さんの妻(嫁)との出会いは?妻は名監督の娘だった‼

三原脩監督と奥様の妙子さんの間には、息子さん4人と娘さん1人います。
長女の敏子さんは、東京都の成城で育ったお嬢様だそうです。
中西太さんは現役時代に西鉄ライオンズで監督をしていた三原脩監督の長女の敏子さんと1956年(昭和31年)に結婚をします。

中西太さんと奥様の敏子さんは結婚後、都内の閑静な住宅街で生活をされていたとのことです。
中西太さんは、三原家に婿入りし義理息子になり戸籍上は「三原太」となっているとのことです。
この時期に三原の長女・敏子のもとへ婿入りし、三原の義理の息子となっている(戸籍上は「三原太」となっている)
中西太 - Wikipedia
三原脩監督と中西太さんは同じ香川県と同郷であり、中西太さんが早稲田大学へ進学する際に三原監督と出会い、西鉄が早稲田大学の費用を出す代わりに卒業したら西鉄ライオンズに入団する約束をしていました。
しかし、毎日オリオンズが中西太さんのお兄さんを抱き込み契約寸前までいっていることを知ると三原監督は、すぐさま中西太さんの家に向かい、西鉄側には高松一高野球部後援会や市会議員までが出てきて入団を後押しをすることになります。
最終的には、中西太さんのお母さんの判断で「郷里の先輩を信じるのが一番良い」という理由で西鉄ライオンズへ入団します。
このことから三原脩監督は中西太さんへ思い入れがあるからこそ婿入りしたのではないでしょうか。
現役時代の実績は?指導者としても優秀だった‼

中西太さんは現役時代に本塁打王5回、首位打者2回、打点王3回を獲得しています。
1962年には29歳の若さで西鉄ライオンズ時代には選手兼監督としてプレーをしています。
通算成績は実働18年
1388試合
1262安打
244本塁打
785打点
142盗塁
打率.307
中西太さんは西鉄ライオンズ、日本ハムファイターズ、阪神タイガースで計12シーズンにわたり監督を務めAクラス6回にリーグ優勝1回の実績があります。
また、コーチとして
ヤクルトスワローズ(ヘッドコーチや1軍ヘッド兼打撃コーチ)
阪神タイガース(1軍打撃コーチ)
近鉄バファローズ(1軍打撃コーチやヘッドコーチ)
巨人(1軍打撃総合コーチ)
千葉ロッテマリーンズ(ヘッドコーチ)
オリックスブルーウェーブ(ヘッドコーチ)
監督やコーチとして8球団で指導者を務め、若松勉選手・八重樫幸雄選手・掛布雅之選手・岡田彰布選手・イチロー選手・宮本慎也選手・岩村明憲選手などを始め多くの名選手を育成しています。
中西太さんの打撃理論は「ボールを呼び込んで下半身で打つ」こと「バットを内側から出す」ことを基本としており、練習法ではティー打撃に重点を置いています。
野村克也さん・吉田義男さん・江夏豊さん・権藤博さんは中西太さんのコーチとしての指導実績や指導法について高く評価しています。
まとめ
今回は中西太さんの現在の様子や奥様との出会いや中西太さんの実績について調べてみました。
中西太さんが指導した選手がコーチや監督として活躍していることが分かりました。
中西太さんの偉大な功績を偲び、ご冥福をお祈り申し上げます。