成田空港用地内の農地明け渡しを巡り、2月15日に成田空港反対派が建てたやぐらの撤去の様子がSNSで話題となっています。
現場の状況においては、数百人の機動隊員らが執行対象地を取り囲むと、約50人の反対派が互いに腕を組み、隊員の盾に体をぶつけたり小競り合いが起きているとも報じられています。
今回は成田闘争について現場の様子について調べてみました。
成田闘争とは?現場の様子や状況とは?
成田空港用地内でどのようなことが起きているのか調べてみました。
成田空港の櫓を排除していることが話題になっているようです。
少人数ではありますが、反対派の方と機動隊の方の小競り合いを見る限り激しい現場状況にあることが分かります。
櫓の場所や建てられたのいつ?
この櫓が建てらのはいつなのか、また場所について調べてみました。
2003年には成田国際空港会社(NAA)が所有権の取得を完了したとのことでしたが、「三里塚・芝山連合空港反対同盟北原派」がやぐらなどを建て、反対派のメンバーが野菜を植えるなどして抗議の活動をされていたようです。

空港の真ん中に櫓や畑と違和感があるのではないでしょうか。
櫓や畑においては、思ったより広い範囲にあることが分かるのではないでしょうか。
この上空からの画像を見る限り空港も広いですが、1966年代の当時の闘争については激しいことが伺えます。
成田闘争と呼ばれるようになったきっかけは?
1966年に千葉県成田市の農村地区である三里塚とその近辺発生した新東京国際空港建築において地域住民が起こした反対運動のことで、当初は三里塚闘争と呼ばれていました。
2004年4月1日以降の成田空港が成田国際空港になり、建設または存続に反する闘争(紛争)を成田闘争と呼ぶようになると言われています。
ちなみに、有名な漫画家の赤塚不二夫さんや押井守さんも参加されていたとのエピソードもあるようです。