2月13日にクレイジージャーニーに出演される洞窟探検家の吉田勝次さんの幼少期やなぜ洞窟探検家になったのか経緯について調べてみました。
生い立ちについては壮絶な体験をされていることが分かりました。
このような経験があるからこそ吉田勝次さんの行動力やバイタリティーが培われたのかもしれません。
気になる方は最後まで拝読をお願いします。
吉田勝次さんの壮絶な生い立ちは?
吉田勝次さんの1996年12月19日大阪市東住吉区にて出生します。
小学生の頃は友達から「動物博士」と言われるぐらい生き物が大好きで、カブトムシ、ウサギ、リス、トカゲ、ヘビ、ワニ、ゾウガメなど、自宅で100種類以上を飼育していたそうです。
電車に乗る事が好きな中学生だったようです。
この頃の吉田勝次さんは鉄道が好きな中学生と言う様子が伺えますが、次第にやんちゃをするようになっていきます。
さらに、自著「洞窟ばか」の中では過去にイジメをしていたことも書かれています。
中学の頃はバイクを盗むなどして半年に一回は警察沙汰になることもあったようで、高校1年生時に蒸発癖のある父親が家を出たことにより生活が苦しくなり退学をすることになり、一家離散を経験します。
とにかく問題児だった。中学のころはバイク盗んだとかで半年に一回、警察沙汰を起こしていた。何とか高校に入ったら蒸発癖のあった父親が家出して、ショックを受けた母親が睡眠薬を飲んで救急車で運ばれた。高校行くどころの騒ぎじゃなくなって、八月に退学。目の前の生活だけで、将来の展望なんて、二の次、三の次だった。
吉田勝次 洞窟探検家:中日新聞Web (chunichi.co.jp)
その後、吉田勝次さんはアルバイト生活をするようになり21歳で建築会社を起業し月で1000万円稼ぐこともあったようです。
吉田勝次さんが高校入学後に蒸発した父親ですが、再会したという事実は残念ながら確認されていません。(2023年2月時点)
洞窟探検家となったきっかけは?
吉田勝次さんは元々は登山が趣味でしたが、登山には物足りなさを感じるようになり1994年に雑誌で参加者を募集していた静岡県と愛知県の県境にある洞窟体験に参加したことがきっかけでケイビングが趣味となります。
1996年には「Japan Exploration Team」(日本探検チーム、略称J.E.T)を結成する。
洞窟探検とその準備に一年のうち三分の一を費やし海外遠征も多くいかれるようになります。
2018年初時点で約30カ国の1000カ所以上の洞窟に潜ったが、狭い所や高所は苦手で、「洞窟の中では一刻も早く外に出たいという気持ちしかない」という『好奇心と行動力』があるからこそ出来るのではないでしょうか。
吉田勝次さんの嫁や子どもは?
吉田勝次さんのお子さんは、6人いるそうです。
吉田勝次さんの奥様について画像を調べましたが見わたりませんでした。
しかし、探検家で家を長期で空けるとなると夫への洞窟探検家としての活動にたいして理解があり寛容な方であることはまちがいないでしょう。
吉田勝次さんの経歴まとめ‼
名前 | 吉田 勝次(よしだ かつじ) |
生年月日 | 1966年12月19日 |
出身 | 大阪府大阪市 |
住居 | 愛知県一宮市 |
職業 | 洞窟探検家 |
〇役職・会員
有限会社勝建 代表取締役
株式会社地球探検社 代表取締役
(一社)日本ケイビング連盟会長
日本洞窟学会会員
(特非)火山洞窟学会会員
〇書籍
洞窟ばか 2017年1月発刊
素晴らしき洞窟探検の世界 2017年10月発刊
写真集:洞窟探検家 CAVE EXPLORER 2018年5月発刊
まとめ
久保安宏さんの家族や会社のついて気になる方は必見です‼

今回は吉田勝次さんの生い立ちやなぜ洞窟探検家になったのかきっかけについて調べてみました。
今後の吉田勝次さんは活動に期待したいですね。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。